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 四日目の記事
2007 / 02 / 28 ( Wed )
旅終へてよりB面の夏休 (黛 まどか)

 「B面の夏休」というフレーズに惹かれてしまうのは果たして僕だけなのだろうか。非常に魅力的なフレーズである。夏休みには勉強等の苦痛と、旅行等の楽しみとの両面の時間が存在する。それを見事、A面とB面とで言い表しているところが素晴らしい。「旅終へてより」と詠んでいるので、B面は自由研究などで追われる宿題漬けの毎日だろうか。何れにしても、素敵な夏休みの音が懐古的にB面より聴こえてきそうだ。
 作者は、『現代俳句一〇〇人二〇句』(邑書林)に於いて、「この時代に立ち合った証を、俳句という器に映してゆきたい。」と記している。
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テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

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三日目の記事
2007 / 02 / 27 ( Tue )
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの (池田 澄子)

 豊かな表現だ。じゃんけんで負けても、蛍・・・ では、勝ったら何に生れるのだろうか。そこは人間と思いたいところだが、実は違うかもしれない。しかし、もし仮に輪廻転生が真実だったとして、こんな「じゃんけん」一つで来世が決められると考えれば、おぞましい気持ちになる。そんな不思議さもこの句の魅力。
 また、蛍という割と人々から愛されている優雅な生物が、「じゃんけんで負けて生れた」とネガティブに捉えた所に面白みがある。俗に言う「発想の逆転」だ。もし、これが「油虫」や「蟻」などに変わると、面白みは半減するだろう。
 俳句というよりは、むしろポエムに近い感触を受けるが、端的にユーモアな世界を表現出来る事は、やはり凄い。
 彼女は、『現代俳句一〇〇人二〇句』(邑書林)に於いて、「分かりやすい言葉、単純な景により、微妙で複雑なものを現せたら。」と記している。

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二日目の記事
2007 / 02 / 26 ( Mon )
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ(坪内 稔典)

 僕はこの句を初めてみた高校一年生の時、「俳句らしからぬ俳句」という思いを抱いた。俳句の公共のイメージとしては、国語の教科書に載っている様な何処か古めかしく格調高いというものがあるだろう。事実、日本の伝統芸能の一つでもあるので、古い事は確かだ。
 しかし、現代ではその従来の俳句のイメージを覆す句が多々、存在している。「有季」、「定型」、「切れ字」、「文語」、「旧仮名遣い」等といった俳句のルーツとは全く逆さまに進んでいるジャンル、「新興俳句」と呼ばれているものは今やマイナーでは無い。つまり、徐々にポップ化してきており、若者に、ちょっとしてブームになっている一因でもあろう。
 この句に於いては、明確な意味は存在しない。極めて恣意的である。「ぽぽのあたり」が具体的に、たんぽぽの何処のあたりなのだろうか?それが分からない限り、この句の意味は分からない。もし、この句が国語の試験に出題され、「この句の意味を答えなさい」と問われれば、複数の答えがあって正解になる。しかし、それはこの句に限った事では無い。
 「俳句は世界で一番短い詩」であるが故に、何かを表現する際に何らかの事象を省略せねば17音に納まりきらない時が多々ある。よって、その「省略」により多様な解釈を許す結果が生れる。それを「短所」と取るか、「長所」と取るかは当人の自由だが、僕は迷わず長所と認めたい。この事は直接、句会等に参加して頂ければよく分かるが、自作の句に於いて、自己が想定していた範囲を、他者の解釈が遥かに上回る事がある。つまり、他者の解釈が自己を引き上げてくれる事はしばしば見受けられる事で、言わば「大衆の力」が、その作品の是非を定める決定権が他の芸術に比べ極めて高いと言えるのではないか。またそれは、多様な解釈から生れる大衆の遊戯と定めても良いのではないか。
 作者は、『現代俳句一〇〇人二〇句』(邑書林)に於いて、「俳句という表現形式の可能性を多角的に引き出す試みに挑む。」と記している。

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02 : 03 : 58 | 「一日一句鑑賞」 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
初記事
2007 / 02 / 25 ( Sun )
今日より、この『剛至の俳句鑑賞記』を開始します。主に、自分の感銘の受けた俳句を皆様に「一日一句」ずつ、ご紹介していきたいと思います。名付けて「一日一句鑑賞」です。精一杯、運営して参りたいと思いますので、ご精読よろしくお願いします!

さて、今日は記念すべき第一句目☆

キャンディーを谷に落とせば虹の種 (塩見 恵介)

 これは塩見恵介氏の第一句集『虹の種』(蝸牛新社)より抜粋した一句である。「虹」と言えば、真っ先にこの句が思い浮かぶほど好きな句だ。
 この句の根底には無論、空想がある。キャンディーを谷に落とせば、虹が出来るかもしれない。よって、「キャンディー」を「虹の種」と表現した。巷では、俳句は四季折々の情景を詠み込む文芸という観念がある様だが、四季折々の美しさよりも、むしろこの句の様に豊かな発想や詩的さを売りにしたパターンは多々ある。強いて言えばこの句は無季俳句なのかもしれない。しかし、この句に於いては、そんな事よりもキャンディーの持つ鮮やかな色彩や甘味、香りなどのメルヘンチックなイメージが正に「虹」を喚起させてくれ、読者を甘い世界へと誘導する華麗な魅力がある。
 そもそも、「虹の種」という新表現を発明した事が先ず手柄であり、その手柄を、キャンディーとの配合(取り合わせ)によって巧みに表現する事に成功している。
 また、作者は、『現代俳句一〇〇人二〇句』(邑書林)に於いて、「自分なりの新表現の成否を、句会を通じて、楽しみながら探る。」と記している。

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