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八日目の記事 ①
2007 / 03 / 05 ( Mon )
夏の浜泳ぎを知らぬ体がじゃま (大高 翔)

 「体がじゃま」という表現が奇抜で好きだ。しかも、「じゃま」という体言止めが、句の締りとインパクトを増大させている。夏の浜は心地よいのに、泳げない体がある事が憂鬱。そんな日常である。
 彼女は比較的、若手の俳人だが、若さ故の新鮮味が漂った俳句は、いつ見ても気持ち良い。「若い時は目茶苦茶にやれ」と、よく年輩の方が言われるが、型にはまらず、自由とのびのびと出来る特権があるからだろう。僕も、その若さを大いに活用していきたいと思う。
 彼女は『現代俳句一〇〇人二〇句』(邑書林)に於いて、『自分の内と外に目を凝らし、日々の生活にある「詩」を詠みたい。』と記している。
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七日目の記事
2007 / 03 / 03 ( Sat )
牛の目の蝿をあつめて澄みにけり (小島 健)

 「牛」という大きな図体から「目の蝿」という些細なところに視点を置くカメラワークが大変面白い。つまり、「牛」→「牛の目」→「牛の目の蝿」と徐々に細部にカメラを移動していっている。
 しかも動物の目に蝿が止まっている光景は、よくテレビ等でも見るが、俳句にしようとまで頭が回らない。この様に、ありふれた光景が故に見落とし勝ちな所を表現する事が素晴らしいのである。「蝿をあつめて澄みにけり」と具体的に表現している事によって、牛の目がクローズアップされて非常にリアルに思い浮かべることが出来る。
 作者は『現代俳句一〇〇人二〇句』(邑書林)に於いて、「韻文世界の尊重。闊達な詩心。」と記している。

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六日目の記事
2007 / 03 / 02 ( Fri )
口論や金魚の水のまつたひら (如月 真菜)

 取り合わせ(配合)の感覚が非常に心地よい。口論をしているのは、おそらく室内であろう。その室内で口論している傍の金魚鉢の水面は平然と平らであったという非常に単純な世界だが、口論の持つ「動」、「熱」のイメージに対し、金魚鉢の水面の「静」、「冷」の対比が非常に見事で、口論をしている二人をあざ笑うかの様に金魚が涼しげに優雅に泳いでいる景色がリアルに思い浮かべられる。
 また、最初の五文字に「○○や」と入れる俳句の形式はよくある事だが、たいてい、その最初の五文字の○○は季語である。しかし、この句に於いては、それは季語で無く「口論」という単語になっている。それも、一つ愉快な所だ。
 作者は『現代俳句一〇〇人二〇句』(邑書林)に於いて、「単純で、リアルで、日常も非日常も越えるものを。」と記している。

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五日目の記事
2007 / 03 / 01 ( Thu )
ぎりぎりの裸でゐる時も貴族 (櫂 未知子)

 自ずと眼に飛び込んでくる勢いのある表現だ。「裸でゐる時も」と詠んでいるので、平素より貴族だと言いたいのだろう。自己を貴族と見立てているのか、それとも他者を貴族と例えているのかは景がぶれる(視点が定まらない)ところであるが、貴族はぎりぎりの裸でいる時も気品を失わないという事なのだろう。つまり、「貴族は何をしても貴族、平民は何をしても平民」という事だ。勿論、他にも多種多様な読み方が出来るのだろうが、僕にはこの解釈がしっくりきた。また、「裸」という下等なイメージの単語を、「貴族」という上質な単語にコネクト(繋げた)事も、「ギャップの妙」があって面白い。
 ちなみにこの句は17文字で納まっているものの、「五・七・五」の定型のリズムには、はまっていない。昨日と一昨日の句も、そうであった。これを俗に「破調」(句またがり)と呼ぶのだが、「破調」の句は、もはや珍しくは無い。勿論、「五・七・五」のリズムがベストであるという大衆の理念は変わっていないだろうが、とりたててリズムが悪くない限り「破調」(句またがり)が、非難されなくなっているのが現状である。この現状には、賛否両論あるが、僕は俳句がより「ポップ」に近づいた証だと評したい。ポップになり、より大衆化したからこそ、新しい表現が認められたのだと考える。
 作者は、『現代俳句一〇〇人二〇句』(邑書林)に於いて「詩型に甘えぬこと。定型を愛しつつ、定型に挑むこと。」と記している。

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 四日目の記事
2007 / 02 / 28 ( Wed )
旅終へてよりB面の夏休 (黛 まどか)

 「B面の夏休」というフレーズに惹かれてしまうのは果たして僕だけなのだろうか。非常に魅力的なフレーズである。夏休みには勉強等の苦痛と、旅行等の楽しみとの両面の時間が存在する。それを見事、A面とB面とで言い表しているところが素晴らしい。「旅終へてより」と詠んでいるので、B面は自由研究などで追われる宿題漬けの毎日だろうか。何れにしても、素敵な夏休みの音が懐古的にB面より聴こえてきそうだ。
 作者は、『現代俳句一〇〇人二〇句』(邑書林)に於いて、「この時代に立ち合った証を、俳句という器に映してゆきたい。」と記している。

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